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2015年 11月 13日
以前、小学校の遠足の思い出に関する記事を何本かシリーズ投稿した。
今度は、中学・高校時代の遠足・宿泊行事等の思い出を書いてみたくなった。 しかし、正直言って中学・高校時代の校外学習および修学旅行については、交通手段が主に貸切バスだったこともあって、小学校ほどあまり楽しかったという印象はない。でも、書き綴ってみれば、結構楽しかったことも意外に思い浮かんでくるものだ。 さっそく、中学校時代だが、1・2年生は毎年6月ごろに校外学習(小学校の遠足にあたる)、夏休みにはキャンプ合宿があった。同じ市内でも、2年の冬にスキー合宿という中学校もあるが、私のところは1・2年生ともに夏の合宿だった。 まず、1年の校外学習は私市・くろんど池だった。交通手段は京阪交野線だが、お手軽な行楽地ゆえあまりワクワク感はなく、もう少し遠いところを期待していただけ、がっかりした。小学校の遠足では、京都・奈良・神戸とかいろんなところを訪れたし、いろんな鉄道・バス・船に乗ったり寺社仏閣や博物館、工場等の見学もあって楽しかったんだが、中学校の校外学習になると現地で集団レクリエーションが第一目的のようで、観光や社会科見学の要素がほとんどなかった。 夏のキャンプも基本的に同様の感じだった。宿泊地は滋賀県のマキノ高原で1泊2日の日程だった。実は同じ年の冬、小学校卒業前の雪国見学で訪れた場所でもあり、初めてスキーを経験した(箱館山だったかな?)。マキノ高原へは鉄道だと湖西線利用になるが、駅からかなり距離があって不便なのでバスだった(当時、もともと近江今津以北の普通列車本数は少なく、また交直流境界だったため、普通列車は主に気動車が使用されていた)。1日目の夕食は自炊でカレーを作ったと思う。2日目は確か箱館山を登山したものと記憶している。 2学期に入れば体育祭、中間テスト、文化祭と大きな行事の連続で慌しいためか、小学校の秋の遠足に相当する行事はなかった。さっそく9月いっぱい体育祭準備に追われ、終われば10月半ばに中間テスト、および月末の文化祭準備で忙しい。文化祭が終わると、今度は1ヵ月後に期末テストがあるし、さらに3年生はその間に実力テストもある。よって2学期は1学期に比べて慌しい。 2年生の校外学習は、宇治・太陽ヶ丘運動場だった。 交通手段はやはり京阪電車だった。京阪宇治駅からは徒歩だった(太陽ヶ丘行きのバスも出ているが)。太陽ヶ丘へはJR宇治駅からのほうが少し近い。 例によってレクリエーション中心の行動内容で、観光や旅行気分を味わうというものではなかった。 ちなみに小学校のときにも、遠足で宇治を訪れたことがある。あの時も宇治までは京阪、そこから天ヶ瀬ダムまで徒歩で、関西電力発電所を見学した記憶がある。当時、宇治線では交野線と同様に600・1300系などの吊り掛け車が最後の活躍をしていて、これに乗るのが何よりだった(笑)。 今回宇治を訪れたときは、2600系と1900系ばかりになっていて、1900系は冷房改造中だったが、1900系は更新工事前の姿のほうが特急車時代の面影が色濃く残っていて、さらに旧1810系編入車のあの古めかしい顔とともに貫禄があったように思う。 夏休みには2泊3日のキャンプ合宿で兵庫県北部の鉢伏高原。すぐ傍には中国山地の屋根で知られる氷ノ山があって鳥取県との境界にも近いところだ。もちろんのこと往復ともバスで、中国道から途中加西SAでトイレ休憩ののち、播但道~国道9号線経由だった。今は舞鶴若狭道~北近畿豊岡道経由のほうが距離が短く早いだろう。並行する山陰本線では旧型客車が最後の活躍を務めていた頃だった。 学校によっては冬季に鉢伏でスキー合宿というところもあるそうだが、わが出身校は2年連続夏のキャンプで、正直言ってグループ行動の苦手な私自身、このキャンプ合宿にはあまり気が乗らなかった。現地での行動内容は、1日目の夕食はうどんすきのような鍋料理だったかな、2日目の午前は鮎釣りと昼のカレーの自炊だったかと思う。夕食ももしかしたら自炊だったかもしれない。これがスキーだったらもう少し楽しめたかもしれない。鉢伏の民宿街の雰囲気はなかなか良かったように思う。近くに温泉もいっぱいあるようだし、機会があれば久しぶりに訪れてみたい。 修学旅行は3年の5月半ば、信州・白馬高原だった。 1・2年のときの宿泊行事のときは動きやすさ重視で体操服だったが、修学旅行のときは制服着用ゆえ、晴れの大人の旅行の気分に浸れた。もちろん菓子類やお土産用の現金を持って行くことも許される。 交通手段は例によってバスで往路は北陸道経由、途中日本海の景色を眺めることのできるSA(尼御前もしくは徳光?)で弁当を食べた。北陸本線の車窓から日本海を拝めるところは実はそれほど多くないが、新潟県に入って、険しい断崖絶壁の親不知付近から糸魚川を経て終点・直江津までのあたりは最高だ。当時、北陸道の親不知界隈は未開通で、絶壁の中腹を貫く国道8号線にてドライブ気分を味わえた。糸魚川からは国道148号線(白馬街道)に入り、北アルプス白馬連峰を分け入り信濃国をめざす。先ほど通った親不知絶壁は北アルプス連山の北端にあたる。車窓から姫川渓谷および大糸線のレールと並走しつつ、長野県に踏み入れる。 現地での具体的な行動内容としては、登山、大町市の博物館見学、公営体育館を借りての出し物、ほか何をしたのかはっきり覚えていない。 帰路は塩尻から中央道経由だった。木曽谷をゆくJR中央本線や国道19号線とちがって、木曽山脈に隔てられた東側の伊那谷を南下する。伊那谷は諏訪湖から湧き出る天竜川の河岸段丘にあたり、天竜川は静岡県浜松市で太平洋に注ぐ(先ほど通った塩尻市までは日本海に注ぐ信濃川水系。塩尻市内に中央分水嶺が通っている)。天竜川にほぼ並行する形で長大ローカル線の飯田線が伊那谷を縦貫しているが、険しい地形ゆえ急勾配・急カーブの連続で、さらに元私鉄で駅数も非常に多く線形は悪い。長い恵那山トンネルを抜けたあと、岐阜県に入って恵那峡、そして今度は木曽川に沿いながら徐々に都会的な風景に変わってきて名古屋が近いことを実感、濃尾平野に入って小牧JCTで東名・名神へ合流する。 ▲
by N-3899
| 2015-11-13 01:08
| 旅行レポート
2011年 02月 19日
1995年8月、「青春18きっぷ」で木曽福島へ日帰りの旅をしました。
乗車経路は、確か (往路) 京都→〔琵琶湖線〕→米原→〔東海道本線 快速?〕→名古屋→〔中央本線 快速〕→中津川→〔中央本線〕→木曽福島 (復路) 木曽福島→〔中央本線〕→中津川→〔中央本線 快速〕→名古屋→〔関西本線〕→亀山→〔関西本線〕→加茂→〔大和路線 区間快速〕→天王寺→〔大阪環状線〕→京橋→〔学研都市線〕→河内磐船 だったと思います。 中央本線(中央西線)は既に何度か乗車したことがあり、一度木曽路の小さな町を訪れてみたいと思い、木曽福島で途中下車してみることにしました。 中央西線の中津川~塩尻・松本間の普通列車の本数が非常に少ないため(2時間あたりに1本程度)、大阪方面から塩尻・松本方面へ「青春18きっぷ」で日帰りしようと思うなら、早朝5~6時台に出発しないときついです(それでも、筆者は実際松本まで「青春18きっぷ」で日帰り旅行をしたことがあります)。 中津川駅で「木曽路釜めし」を買い、松本行き165系普通電車の中で賞味しました。大変美味しくて印象に残る駅弁の一つです。 木曽福島駅のゆったりとした木造駅舎が印象に残り、登山客で賑わっていました。木曽福島の町をぶらりと散歩し、ある小さな茶店に入って五平餅を味わい、ついでに土産用の五平餅も購入させていただきました。 物心ついた頃からの鉄道ファンですが、確かこの頃からか、「乗り鉄」だけにとどまらず、小さな町を訪れて、ゆっくりのんびり観光してみたい、と思うようになったようです。 そういえば、家に帰って親に「木曽福島に行ってきた」と話すと、「なんや、中途半端なところで降りたなぁ」と言われましたね(笑) 確かに志賀高原・軽井沢・戸隠とかに比べると、木曽路は地味な印象があるが、それがまた魅力だとも思います。 ▲
by N-3899
| 2011-02-19 23:01
| 旅行レポート
2011年 02月 08日
1992年3月某日、「青春18きっぷ」を使って、三重県のローカル線、参宮線と名松線の完乗をしてきました。
出発駅は、学研都市線(片町線)河内磐船駅。 当時、学研都市線は、JR東西線の開業に備えてJR西日本発足後初の新型通勤型電車207系が大量投入されつつある頃で、特に当時4両限界だった松井山手以東(=単線区間)への直通電車は早々とオール207系化されました。つい3年前の1989年まで非電化でキハ58系などがのんびり走っていたようなローカル色の濃い区間で、いきなり洗練された都会的な207系電車が走るとは、やはり違和感みたいなものもあり、それはそれで面白いと思いました。 河内磐船から乗車した207系電車は木津駅1番ホームに到着後、向かい側2番ホームで関西本線亀山行きのキハ58・28にすぐの接続でした(この列車は奈良始発)。この木津駅での207系とキハ58系とのミスマッチな2ショットはぜひ写真に撮りたかったのですが・・・ 亀山から津・松阪経由伊勢市まで乗車し、伊勢市で折り返し、名松線の発車時刻に合わせて松阪へ戻りました。名松線に乗車したのは、このとき一度きりでした。現在、家城~伊勢奥津間が台風被害により不通(バス代行)となっており、同区間の廃線も取りざたされましたが、沿線住民・自治体の強い存続要望で、2016年度までに全線再開をめざして復旧工事が行われることになっています(国鉄時代末期にも名松線は台風被害も手伝って廃止の危機に直面したが、沿線道路未整備などの理由により廃線を免れている)。 この「名松線」という路線名は、もともと松阪と名張(さらに桜井)を結ぶことをめざして名づけられたものですが、現在の近鉄大阪線にあたる参宮急行電鉄の開通により伊勢奥津で行き止まりとなってしまいました。 終点・伊勢奥津駅からそのまま折り返すのも面白くないので、名張行きの三重交通バスに乗って「名松線未着工区間」をたどってみることにしました。当時、名張~伊勢奥津間には1日3・4往復程度のバスが運行されていましたが、現在1往復のみの運行となっています。「名松線を単純に往復するのは」と思うのなら、一志まで戻り、少し歩いて近鉄(川合高岡駅)に乗り換えるという手もあります。 実は、筆者が乗車した名張行きのバスは、もう1本遅い名松線の列車に接続していました。そんなわけで、2時間以上伊勢奥津駅前で待ちぼうけを食うことになりました。山間部の小さな駅で2時間もじっと待つことなど、正直退屈でした。しかし、今度伊勢奥津へ行く機会があれば、山の中の静けさを心ゆくまで味わってみたいと思います。周辺の風景写真を撮る、絵を描く、ほかの旅行客や地元住民と話すなど、やることはいろいろ考えられます。 伊勢奥津駅は奈良県との県境にも近く、名張行きのバスは、途中奈良県を何度か掠ります。伊勢奥津から西に進んで県境を越えたあたり(御杖村)は、淀川水系・名張川の源流(高見山地)に近く、そこから木津川を経て、八幡・大山崎で琵琶湖からの宇治川、京都北山・丹波高地からの桂川と合流、淀川となって大阪湾に注いでいるという事実は驚きですね。 そうそう、バスに乗車している途中で、雨が降り出してきました(この年の3月は「菜種梅雨」が異常に長く、天気が悪かった)。 名張から近鉄大阪線の快速急行で桜井まで乗車、桜井からJRに乗り換えて桜井線~奈良~木津経由で河内磐船へ戻りました。 ▲
by N-3899
| 2011-02-08 19:47
| 旅行レポート
2010年 11月 08日
2008年春「スルットKANSAI 3Dayチケット」(季節限定版)のことを振り返って、未だ気になることがあります。
それは、有効期限内(5月12日)に消化できず、1日分を使い残してしまったこと。 その「3Dayチケット」は5月はじめの連休中に購入し、さっそく1日分を使って能勢電鉄~阪急バス能勢方面へ出かけました。それは良かったけど、問題は残り2日分。有効期限まで残りわずかだし、何とか使い切りたいが、平日仕事で忙しくて遠出する時間がない・・・ そこで、高槻での用事を適当に仕立てて、京阪バス+高槻市営バスを「3Dayチケット」で乗ろうとも考えたが、それだけでは物足りないですね(高槻市営バスで北部山間部の田能・二料・杉生方面まで乗るのなら別だが)。 結局、有効期限1日前の5月11日に樟葉駅前での買い物だけのために無理やり使ってみました。乗車した路線は京阪バス・京阪電車だけで、1日あたりの単価(1,650円)には及びません。正直、京阪バスの「1Dayチケット」(大阪版)だけで事足りるような行動でした。 本当は、有効期限最終日の12日に残り1日分を使って出かけるつもりにしていたが、その日の未明、親戚が怪我で入院ということになり、取りやめざるを得ませんでした。結局1日分は使い切らずに有効期限終了・・・ しかし、よく考えてみたら、何も神戸・姫路・奈良・和歌山・三重など遠いところまで行かなくても、京阪バスで「1Dayチケット」エリア外の八幡・京田辺地区とか京阪宇治バスを半日乗り回るだけでも十分元が取れるんですよね。京田辺地区とか京阪宇治バスの運賃は、基本的に対キロ制で、距離が長いほど運賃も高めです。例えば、 樟葉駅~京阪八幡 230円 樟葉駅~近鉄新田辺 430円 京阪八幡~近鉄新田辺 420円 枚方市駅南口~天王 270円(宗谷~天王間「1Dayチケット」の範囲外) 穂谷~近鉄新田辺 200円 近鉄新田辺~宇治田原小学校 450円 京阪淀駅~京阪宇治 430円 京阪淀~JR山崎 210円 京阪中書島~近鉄大久保 350円 近鉄大久保~JR黄檗 350円 京阪宇治~宇治田原小学校 450円 近鉄大久保~国立病院 360円 八幡・京田辺・宇治地区のバス400円以上の運賃分の系統を3本乗り継ぐなら、それだけでもあとプラスαで3Dayチケット1日分の元が取れます。例えば、プラスして大阪府下の京阪バスに2~3回乗車すれば、それだけで元が取れるし、急ぐ場合はこのチケットで京阪電車や近鉄電車などに乗ることもできるので、自由度が高いのが何よりです。 ▲
by N-3899
| 2010-11-08 19:00
| 旅行レポート
2010年 10月 29日
1989年3月下旬のこと。「青春18きっぷ」を使って、初めて鳥取へ「乗り鉄」をしました。
乗車経路は、 枚方市→〔京阪本線〕→丹波橋→〔近鉄京都線〕→京都→〔山陰本線 キハ58系普通列車〕→福知山→〔山陰本線 113系2両編成〕→城崎(現・城崎温泉)→〔山陰本線 キハ181系快速〕→鳥取→〔因美線 キハ47ほか〕→津山→〔姫新線 キハ47快速〕→姫路→〔山陽・東海道本線 117系新快速〕→大阪→ 確か、余裕を持たせて枚方市から始発普通・三条行きに乗車したと思います(当時は鴨東線出町柳開通半年前だった)。近鉄京都線のほうは、地下鉄烏丸線との相互乗り入れ開始から半年ばかり経過した頃で、特に烏丸線と接続する竹田駅は大きく変貌していたはずですが、あまり印象には残っていませんね。 京都駅からの山陰本線は、1年後に京都~園部間電化完成を控え、嵯峨嵐山~保津峡~馬堀間の新線付け替え工事と同区間の複線化が完了、トンネルの連続となって保津川渓谷の景色を味わえなくなったのは残念ではあります。この年の3月ダイヤ改正では、京都~園部間において気動車による普通列車の大幅増発が行われ、従来からのキハ47のほか、キハ58・28が亀山・七尾から転入となり、キハ58系の普通列車も増えたようです(これと引き換えに客車列車は京都~園部間にわずかに残るのみとなる)。筆者が乗車した福知山行き普通列車もキハ58・28の3両編成でした。 福知山で大阪発福知山線(JR宝塚線)経由城崎行きの113系800番台に乗り継ぎ。黄色に青帯を巻いた塗装で、事業用車のイメージがあって評判はイマイチだったようです(→1990年より新塗装に変更)。しかも、「大阪発」だというのにたったの2両編成でした。福知山~城崎間ならともかく、大阪市内への通勤客の多い大阪~新三田あたりで2両編成では、混雑が激しく積み残しも発生したことでしょう。 城崎・竹野へは、前年の夏に家族で1泊2日の海水浴(竹野海岸)で訪れました。この1988年夏は「ラニーニャ現象で猛暑」と予想されていたにもかかわらず、残念ながら天候不順で梅雨明けが大幅に遅れ、とても海水浴どころではなかったです。それでも、筆者自身としては、宮津線~舞鶴線~山陰本線乗り継ぎの鉄道旅行を楽しませていただくことになりましたが(笑) さて、城崎からは、キハ181系の快速・米子行きに乗りました。まさに「青春18きっぷ」の乗り得列車ですね。キハ181系の長距離快速列車が登場したのは、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正のこと。城崎電化により大阪~米子間(福知山線経由)の特急〔まつかぜ〕が廃止された代償として、城崎で特急〔北近畿〕に接続する形で登場することになったのです。現在、城崎~鳥取(以西)を直通する列車は特急〔はまかぜ〕1往復を除いて存在せず、必ず浜坂乗り換えとなります。 鳥取から因美線・津山線経由で姫路へ向かいました。 当時、智頭急行は未開業で、因美線は津山線と一体で岡山~鳥取間の陰陽連絡体系をなしており、急行〔砂丘〕がまとまった数だけ運行されていました。国鉄末期以来、急行列車が特急格上げ(あるいは快速への格下げ)などに伴って全国的に衰退する中、〔砂丘〕は新幹線連絡で岡山と鳥取を結ぶ都市間連絡のビジネス列車として立派な機能を果たしていました。また、〔砂丘〕は1997年の廃止まで因美線において「タブレット交換」が見られた貴重な存在でした。 現在、因美線は、鳥取~智頭間は智頭急行経由京阪神・岡山からの特急列車の通り道となって賑わいを見せていますが、智頭~東津山(津山)間はごくわずかな本数の普通列車しか走らない寂れた区間となってしまいました。しかも、因美線を全線直通する列車は1本もありません。 津山からは、うまい具合に快速列車姫路行きに乗り継ぎました。この快速列車は、廃止されたばかりの急行〔みささ〕・〔みまさか〕の後継列車でしたが、列車番号が8000番台で「毎日運転の臨時列車」でした。ただ、「青春18きっぷ」のシーズンには、下りの姫路発津山行き快速は結構混み合っていたようでした(筆者は2回ほど下り津山行き快速列車にも乗車したことがある。もちろん「青春18きっぷ」を使ってのことだったが、姫路から津山までほぼ座れなかったような・・・)。 姫新線は10年後の1999年には、本数大幅削減や「月1回運休」などのリストラ策がとられ、この直通快速列車も廃止、列車運行体系は佐用(上月)と津山でほぼ完全に分断されてしまいました。 ▲
by N-3899
| 2010-10-29 18:59
| 旅行レポート
2010年 10月 25日
10月31日までの有効期限「スルットKANSAI2Dayチケット」の1日分が残っていたので、使い切ってしまいました。
本日の乗車経路は、 枚方市→〔京阪本線 準急〕→淀屋橋→〔地下鉄御堂筋線〕→梅田→〔地下鉄御堂筋線〕→なんば→〔地下鉄千日前線〕→玉川→(鉄道図書館)→野田駅前→〔大阪市営バス56系統〕→西九条→〔阪神なんば線~近鉄奈良線 区間準急〕→大和西大寺→〔近鉄京都線 普通〕→新田辺→〔京阪バス 67D号経路〕→樟葉駅→〔京阪本線 準急〕→枚方市 (2時間ほど休憩を挟んで) 枚方市→〔京阪バス 38号経路〕→京阪牧野駅/牧野→〔京阪本線 準急〕→香里園→〔京阪バス 9号経路〕→交野市 でした。「2Dayチケット」1日分が1,900円(定価3,800円だがオークションで確か4,500円程度で落札して入手したものなので、1日分あたりの単価はもう少し高い)で、やや物足りないような感じもしますが、ここのところいろいろ用事があって時間がないのでやむをえないですね。 ![]() 準急で淀屋橋到着後、普通・萱島行きとして折り返す2600系0番台 まず、ヨドバシカメラでちょっと買い物するために、梅田へ。地下鉄梅田駅からヨドバシカメラへは地下道で直結していて非常に便利です。 ヨドバシカメラから、次はJR野田駅前の鉄道図書館へ地下鉄乗り継いで移動。 鉄道図書館で1時間ほど閲覧したあと、大阪市営バス56系統で西九条まで乗車してみました。 ![]() JR環状線をオーバークロスする阪神なんば線西九条駅 ![]() JR環状線下に軒を連ねるお店 ![]() 西九条駅に到着するシリーズ21(9020系)の区間準急大和西大寺行き 西九条から難波経由大和西大寺まで区間準急に乗車。大和西大寺へは快速急行が先着ですが、快速急行よりは(区間)準急や普通のほうが空いているので、終点まで区間準急にそのまま乗りました。 西九条の次は九条駅ですが、面白いことに近鉄電車は4つの「九条」駅に乗り入れています。それは、橿原線の九条駅、京都市営地下鉄烏丸線の九条駅、大阪市営地下鉄中央線の九条駅、そして阪神なんば線の九条駅。大和西大寺からは、橿原線・地下鉄烏丸線・阪神なんば線の3つの「九条」駅へ、それぞれ1本の列車で行くことができます。また、地下鉄中央線は近鉄けいはんな線と相互乗り入れしているので、近鉄7000系・7020系は中央線の九条駅を通っています。さらに、阪神なんば線の九条駅では地下鉄中央線の九条駅へ乗り換えができます。なんともややこしい話で、去年新しく開通した阪神なんば線の「九条」駅は別の駅名にできなかったものかとは思います。 区間準急は、途中瓢箪山で快速急行に追い抜かされました。実は瓢箪山駅で途中下車し、駅前商店街をちょっとぶらりとしてみたかったが、時間がないのでそのまま区間準急に乗車。ちなみに、瓢箪山駅前の商店街は、国道170号線旧道指定区間に含まれていますが、やはり人通りで賑わう商店街だけあって昼間は「歩行者・自転車専用道」となります。170号線旧道は、「酷道」ファンに有名です。あっ、瓢箪山の次の枚岡駅付近では、「酷道」で有名な国道308号(暗峠越え)をオーバークロスしていますね(笑) それから、枚岡~石切間は生駒山中腹に寄り添いながら登るので、車窓から大阪市街地の夜景パノラマが楽しめます。これは近鉄奈良線の魅力の一つだといえるでしょう。 ![]() 瓢箪山駅奈良方面ホームに楠木正行公墓の石碑が建っている ![]() 大和西大寺駅6番ホームから発車する普通大阪難波ゆき 6番ホームからの大阪難波ゆきは珍しいかな? 大和西大寺で京都線に乗り換えて新田辺で下車。新田辺からの[67D]樟葉駅行き(16:41発)は京田辺営業所担当便でした。運用車両は、N-3868でした。山手線系統([31][67D]など)では数少ない京田辺営業所担当便を味わってみました。途中、強い雨が降り出したこともあるのか、松井山手付近とみさき~あさひ付近で渋滞し、終点・樟葉駅まで1時間以上かかりました。 2時間近く休憩したあと、今度は枚方市駅北口から[38]摂南大学薬学部行き(20:35発)に乗車してみました。運用車両はN-3945(ブルーリボンIIノンステップ車)で、[38]でのブルーリボンIIに乗車したのは初めてのことでした。京阪牧野駅ですれ違った[38]枚方市駅行きも同じブルーリボンIIノンステップ車でした。 逆にきのうダイヤ改正が実施された香里団地・交野地区では、筆者が見る限り中型ロング車が多かったような・・・ ▲
by N-3899
| 2010-10-25 00:17
| 旅行レポート
2010年 09月 30日
1991年8月、「青春18きっぷ」で信州方面へ1泊旅行しました。
この旅行は、私自身にとって初めての泊りがけの鉄道旅行でした。 まず、1日目は、 河内磐船 ↓片町線(学研都市線) 京橋 ↓大阪環状線 鶴橋 ↓近鉄難波線(奈良線) 日本橋 ↓徒歩 (でんでんタウン、なんば散策) ↓徒歩 湊町(現・JR難波) ↓関西本線(大和路線) 奈良 ↓関西本線(大和路線) 加茂 ↓関西本線 伊賀上野 ↓関西本線 亀山 ↓関西本線 名古屋 ↓中央西線・篠ノ井線(急行〔ちくま〕) 急行〔ちくま〕は大阪発着なので大阪・京都駅から乗車すればよかったと思われるかもしれませんが、少しでも安くするためにも関西本線経由で名古屋まで普通列車乗り継ぎ、名古屋から〔ちくま〕に乗り込みました。もっとも、〔ちくま〕はアルプス連山への登山客で混み合う時期だけに、名古屋からだと床下に新聞紙を敷いて寝ることを覚悟していましたが、何とかあいている席を見つけることができました。 また、関西本線に乗るからには、やはり湊町から名古屋まで全線乗り通したく、時間の余裕があったので夕刻に日本橋でんでんタウン~なんば界隈をぶらりと歩き時間をつぶしました。その日の夕食は、たぶん南海なんば駅の「南海そば」で済ませたかと思います。 関西本線の湊町~奈良間はちょうど夕方ラッシュ時間帯にあたり、確か221系の快速で奈良行きと五条行きの併結だったようです(王寺で切り離し、本線の奈良行きは短い2両編成で、普段は王寺から空くはずだが、終点・奈良まで混雑していた)。 加茂~亀山間はワンマンのキハ58・28、時間の余裕があったので伊賀上野駅で途中下車してみました(すでに日が暮れているので、あまり楽しめなかったが)。 亀山~名古屋間は転換クロスシート213系5000番台で、亀山までのキハ58・28に比べて車内は明るく快適に感じました(ただし213系はトイレなしです)。 名古屋から急行〔ちくま〕(12系客車)で終点・長野まで一晩過ごしました。昼間なら中央西線の車窓の変化を十分楽しめるのだが、夜行列車なのでそれは仕方ないですね(笑) 多治見を過ぎたあたり中央自動車道が寄り添ってきたところで、高校の修学旅行のことを思い出し、栂池でのスキー講習が懐かしく感じられました。さらに、今回初めての泊りがけ鉄道旅行とあって、「信州へ旅行しているんだ」という何かしら非日常的な解放感も手伝って、ワクワクする思いに耽りました。 一夜明けて、松本駅に着くと、登山家たちはいっせいに下車(大糸線に乗り換えると思われる)、一気にガラガラとなりました。車内が空いただけに、信州の朝の爽やかな空気がいっそう引き立つように感じられました。1~2時間ほどして、長野駅に到着。 当時の長野駅は味わいのある寺院風の駅舎だったようです(長野新幹線開通に合わせてリニュアル工事竣工)。また、長野駅前から発着する川中島バスおよび長野電鉄バスは、当時京阪バスからの中古車が多く活躍していました。もしその情報を早く知っていたら、おそらく長野市内で京阪バス中古車に萌えていたことでしょう(特に川中島バスのMR470 Bタイプや初期のブルドック、長野電鉄バスのRC301)。 少しばかり朝の長野駅をブラブラし、2日目の行程に入りました。同日の乗車経路は、 長野 ↓信越本線(現・しなの鉄道) 軽井沢 ↓信越本線(現・しなの鉄道) 小諸 ↓小海線 小淵沢 ↓中央東線 甲府 ↓身延線 富士 ↓東海道本線 静岡 ↓東海道本線 浜松 ↓東海道本線 米原 ↓東海道本線 高槻 今回の旅行は、小海線と身延線の乗車が第一の目的でした。 少し時間があるので、軽井沢駅に寄ってみました。実は、軽井沢のおしゃれで賑やかな雰囲気を味わってみたい、という思いもあったのですが、どうもJRの駅前の雰囲気に限っては期待したほどではなかったようです。1997年の長野新幹線開通までは、軽井沢から碓氷峠を越えて横川までレールがつながっていましたが、現在同区間は廃止、信越本線は分断されました。 折り返して、小諸駅で釜めしの駅弁を買い、小海線のキハ58系に乗りました。小海線は夏の観光シーズンでほぼ全区間混み合い、キハ58は冷房なしということもあって、暑苦しくあまり快適ではありませんでした。当時、キハ58系は見飽きる存在で早く新型気動車に置き換えてほしいとばかり思っていたが、今ならきっと大喜びで乗ることでしょう(笑) そういえば、前夜に乗った関西本線のキハ58系も車内はプンプン臭っていましたね・・・ 身延線のほうは、残念ながら印象に残っていません。半分ぐらい眠っていたようにも思います。でも、今から思えば165系急行〔富士川〕の写真を1枚でも残しておきたかったですね(笑) 富士からはひたすら東海道本線乗り継ぎの退屈な行路でした。静岡駅で急行〔東海〕を見ることができたのは良かったと思います。 ▲
by N-3899
| 2010-09-30 18:53
| 旅行レポート
2010年 09月 28日
私が初めて東京を訪れたのは、1991年12月のことでした。
大学時代のときのことで、目的は「鉄道旅行」。 なぜか、年末の慌しい時にちょっと強引に実行してしまったようです(「青春18きっぷ」の有効期限は1月20日までなので、正月以降にしてもよかったかな。でも1月下旬に期末試験があるので・・・)。 確か2泊3日ぐらいの行程だったと思います。 まず、枚方市駅から京阪バスの夜行バスで新宿駅西口へ。 東京周辺での詳しい乗車経路などは記憶していないが、確か千葉駅で安いとんかつ弁当を買い、東金線とか埼京線、川越線に乗ったことは覚えています(ほか、根岸線、横浜線にも乗ったと思う)。 「首都圏のJRにできるだけ乗りつぶす」ことが第一の目的で、印象に残った見どころといえば、新宿・上野など都心ターミナルの賑わいといったところかな(笑)。 1991年のこのころといえば、「これから景気が悪くなる」と言われながら、まだバブル景気の余韻が残っていたようにも思います(1989~90年ごろが一番すごかったんでしょうね。ただし、日経平均は1989年12月にピークを打つ)。 『バブルへGo!』なるタイムマシンでバブルの頃の東京を味わってみるのも面白いでしょう(笑) どういうわけか、2泊目は、富士吉田のユースホステル(大月駅から富士急に乗り換え)に泊まりました(年末ということもあって私以外に宿泊客はいなかったと思う(笑))。 都心から結構時間がかかりました。 最終日、3泊目は「大垣夜行」続行便列車で過ごしました。 その前夜に横浜の高島屋のレストラン街で食事したような覚えがありますね! そのあと、東京駅で何時間かホームに座り込んで「大垣夜行」続行便を待っていたような(いや、もしかしたらその前に上野~御徒町を散策していたかも。横浜からだと京浜東北線で上野までそのまま行けるんですよね)・・・ 続行便列車の車両は確かJR東日本所属167系リクライニング改造車だったと思います。 夜明けの名古屋駅で降りて、さっそく武豊線乗りつぶしを目的に、武豊行き気動車に乗車。 朝の通勤時間帯に差し掛かるので、キハ58・65系やキハ47などを連結した長い編成でした(実は、私はキハ47に乗車。新製配置は福知山で、豊岡→亀山→伊勢→名古屋へと転属。窓枠の落書きにも「福知山」・「綾部」といった地名などが刻まれており、いかにもそれとわかるものだった。新製当初は綾部・福知山・舞鶴・宮津など丹波・丹後地方の高校生の足として活躍していた軌跡が感じられる。まさか名古屋へ回されるとは思わなかったことだろう)。 武豊駅でそのまま折り返し、名古屋に到着すると、一部編成が切り離されて、確か急行〔かすが〕になったと思います。 名古屋市街地で一服したあと、今度は太多線訪問を目的に、名古屋→多治見→美濃太田→岐阜→名古屋と回りました。 その後、関西本線全線乗り通して湊町(現・JR難波)へ。 亀山~加茂間は既にワンマン運転が実施され、当時はキハ58・28で運転されていました。 亀山からは数少なくなった奈良行き普通列車に乗車、加茂ではキハ58系と103系電車とのツーショットが実現したり、木津駅で4番ホームに停車するなど、なかなか楽しかったです。 湊町駅で下車、なんばの地下街を歩いて地下鉄御堂筋線→京阪電車で枚方へ帰り着きました。 ▲
by N-3899
| 2010-09-28 22:06
| 旅行レポート
2010年 08月 25日
先の日曜日(8月22日)、「スルットKANSAI 3Dayチケット」を利用して、出かけてきました。
乗車経路は、 村野→〔京阪交野線〕→枚方市→〔京阪本線・中之島線〕→中之島→〔京阪中之島線〕 →難波橋→(徒歩)→北浜→〔地下鉄堺筋線〕→日本橋→〔地下鉄千日前線〕→玉川 →(鉄道図書館)→野田→〔JR大阪環状線〕→天王寺/大阪阿部野橋→〔近鉄南大阪線〕 →橿原神宮前→〔近鉄橿原線〕→大和西大寺→〔近鉄京都線〕→竹田 →〔地下鉄烏丸線〕→四条烏丸→〔阪急京都線〕→河原町→(徒歩)→祇園四条 →〔京阪本線〕→三条→〔京阪本線〕→枚方市→〔京阪交野線〕→村野 まず、第一の目当ては、京阪電車のミュージアムトレイン。 http://www.keihan.co.jp/museumtrain/ この日は中之島駅3番ホームに展示開放されるため、中之島駅へ。 ![]() ![]() ![]() 一通り見学を終えたあと、折り返して難波橋駅で下車。 難波橋を渡って北浜駅から地下鉄に乗り換え。 今度は、JR環状線野田駅前にある鉄道図書館へ。 実は、中之島駅から徒歩15~20分程度で行くこともできるが、 この厳しい炎天下の中を歩いて汗だくになるのもいやなので、 あえて地下鉄を使って遠回りしてみました。 JR野田駅は地下鉄千日前線の玉川駅と隣接しているので、日本橋で千日前線に乗り換え。 堺筋線から千日前線への乗り換えはラクです。 さて、「鉄道図書館」には、古い鉄道雑誌・書籍、時刻表、鉄道写真、鉄道備品などが販売されており、 何よりも品揃えが豊富です。 また、30分あたり180円で、「鉄道図書館」内の資料等の閲覧もできます。 1時間ほど「鉄道図書館」でちょっと調べ物とか写真探しをして勘定を済ませたあと、 どこへ行こうか特に決めてませんでした。 とりあえず大阪市営バスに乗って西九条駅へ出てみようということは考えてみたけど、 久しぶりに近鉄南大阪線方面に行ってみようと思い立ち、JR環状線で野田から天王寺へ。 もちろん、JRは「3Dayチケット」は利用不可能なので、170円の乗車券を購入。 途中、新今宮駅ホーム上で環状線と大和路線の201系電車の撮影をしてから、 大和路線の快速高田行きに次の天王寺まで乗りました。 ![]() 天王寺駅の改札口を通り、地下道を経て近鉄阿部野橋駅から南大阪線経由で橿原神宮前へ。 ![]() ![]() 橿原神宮前駅構内で一服し、今度は大和西大寺まで京都行き急行に乗りました。 ![]() 大和西大寺駅で途中下車し、ならファミリー(近鉄百貨店奈良店、ジャスコ)でちょっと買い物。 せっかくなので、近鉄百貨店の4階紳士服売り場で、安い半袖カジュアルシャツを探してみました。 結局ここでは買わなかったが、大和西大寺から京都方面へ向かう途中、 ちょうどこの日が四条河原町阪急の閉店日だということを思い出し、 四条河原町の阪急百貨店に寄ることにしました。 ▲
by N-3899
| 2010-08-25 22:49
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2010年 06月 23日
筆者が初めて四国に踏み入れたのは、1989年夏の「青春18きっぷ」での徳島日帰り旅行のときでした。
瀬戸大橋線・高徳線・徳島線完乗が一番の目的でした。 普通・快速列車だけでは日帰りはちょっときついので、四国島内の一部区間で特急列車に乗車しました。 乗車経路は、確か 京橋→〔大阪環状線・内回り〕→大阪→〔東海道・山陽本線 快速〕→姫路→〔山陽本線 普通〕→岡山→〔快速・マリンライナー〕→高松→〔高徳線 普通〕→?→〔特急 ?〕→三本松→〔高徳線 普通〕→徳島→〔徳島線 快速〕→阿波池田→〔特急 南風?〕→琴平→〔土讃線 普通〕→坂出→〔快速・マリンライナー〕→岡山→〔山陽本線 普通〕→姫路→〔山陽・東海道本線 新快速〕→大阪→〔大阪環状線・外回り〕→京橋 だったと記憶しています。 特急列車に乗車(=ワープ)したのは、高徳線の一部区間(どこかは忘れた)と土讃線の阿波池田-琴平間でした。 乗車した特急列車の名前は忘れました(笑) 往路の姫路では岡山行きとの乗り継ぎ時間がわずかであること、岡山行き列車の編成が短いこともあって、ホーム上でダッシュしているときにだれかにぶつかって転び、腕から出血という災難に遭いました。 その後、この旅行中では特に問題なく物事が進んだものの、腕の傷は目だち(半そでを着ているため)、家に帰って両親が過剰なまでに心配したほどでした。 しかし、何よりもハードで無理したスケジュールだったことが、この災難の引き金となったのでしょう。 やっぱりもう少し余裕のあるプランを立てたほうがいいですね! 関西から徳島へは、かつては和歌山~徳島間の南海フェリーがメインルートだったが、明石海峡~淡路島~鳴門海峡経由の高速道路ができてマイカー・高速バスで行き来しやすくなりました。 一方、JRだけだとどうしても岡山経由で遠回りとなり、その分運賃と所要時間が余計にかかります。 今度、「青春18きっぷ」で徳島方面に行く機会があれば、往復ともJRでは面白くないので、和歌山~徳島フェリーを使うなり、高速バスに乗って鳴門・明石海峡大橋を楽しむなりしたいと思います。 ▲
by N-3899
| 2010-06-23 21:30
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