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2015年 11月 13日
以前、小学校の遠足の思い出に関する記事を何本かシリーズ投稿した。
今度は、中学・高校時代の遠足・宿泊行事等の思い出を書いてみたくなった。 しかし、正直言って中学・高校時代の校外学習および修学旅行については、交通手段が主に貸切バスだったこともあって、小学校ほどあまり楽しかったという印象はない。でも、書き綴ってみれば、結構楽しかったことも意外に思い浮かんでくるものだ。 さっそく、中学校時代だが、1・2年生は毎年6月ごろに校外学習(小学校の遠足にあたる)、夏休みにはキャンプ合宿があった。同じ市内でも、2年の冬にスキー合宿という中学校もあるが、私のところは1・2年生ともに夏の合宿だった。 まず、1年の校外学習は私市・くろんど池だった。交通手段は京阪交野線だが、お手軽な行楽地ゆえあまりワクワク感はなく、もう少し遠いところを期待していただけ、がっかりした。小学校の遠足では、京都・奈良・神戸とかいろんなところを訪れたし、いろんな鉄道・バス・船に乗ったり寺社仏閣や博物館、工場等の見学もあって楽しかったんだが、中学校の校外学習になると現地で集団レクリエーションが第一目的のようで、観光や社会科見学の要素がほとんどなかった。 夏のキャンプも基本的に同様の感じだった。宿泊地は滋賀県のマキノ高原で1泊2日の日程だった。実は同じ年の冬、小学校卒業前の雪国見学で訪れた場所でもあり、初めてスキーを経験した(箱館山だったかな?)。マキノ高原へは鉄道だと湖西線利用になるが、駅からかなり距離があって不便なのでバスだった(当時、もともと近江今津以北の普通列車本数は少なく、また交直流境界だったため、普通列車は主に気動車が使用されていた)。1日目の夕食は自炊でカレーを作ったと思う。2日目は確か箱館山を登山したものと記憶している。 2学期に入れば体育祭、中間テスト、文化祭と大きな行事の連続で慌しいためか、小学校の秋の遠足に相当する行事はなかった。さっそく9月いっぱい体育祭準備に追われ、終われば10月半ばに中間テスト、および月末の文化祭準備で忙しい。文化祭が終わると、今度は1ヵ月後に期末テストがあるし、さらに3年生はその間に実力テストもある。よって2学期は1学期に比べて慌しい。 2年生の校外学習は、宇治・太陽ヶ丘運動場だった。 交通手段はやはり京阪電車だった。京阪宇治駅からは徒歩だった(太陽ヶ丘行きのバスも出ているが)。太陽ヶ丘へはJR宇治駅からのほうが少し近い。 例によってレクリエーション中心の行動内容で、観光や旅行気分を味わうというものではなかった。 ちなみに小学校のときにも、遠足で宇治を訪れたことがある。あの時も宇治までは京阪、そこから天ヶ瀬ダムまで徒歩で、関西電力発電所を見学した記憶がある。当時、宇治線では交野線と同様に600・1300系などの吊り掛け車が最後の活躍をしていて、これに乗るのが何よりだった(笑)。 今回宇治を訪れたときは、2600系と1900系ばかりになっていて、1900系は冷房改造中だったが、1900系は更新工事前の姿のほうが特急車時代の面影が色濃く残っていて、さらに旧1810系編入車のあの古めかしい顔とともに貫禄があったように思う。 夏休みには2泊3日のキャンプ合宿で兵庫県北部の鉢伏高原。すぐ傍には中国山地の屋根で知られる氷ノ山があって鳥取県との境界にも近いところだ。もちろんのこと往復ともバスで、中国道から途中加西SAでトイレ休憩ののち、播但道~国道9号線経由だった。今は舞鶴若狭道~北近畿豊岡道経由のほうが距離が短く早いだろう。並行する山陰本線では旧型客車が最後の活躍を務めていた頃だった。 学校によっては冬季に鉢伏でスキー合宿というところもあるそうだが、わが出身校は2年連続夏のキャンプで、正直言ってグループ行動の苦手な私自身、このキャンプ合宿にはあまり気が乗らなかった。現地での行動内容は、1日目の夕食はうどんすきのような鍋料理だったかな、2日目の午前は鮎釣りと昼のカレーの自炊だったかと思う。夕食ももしかしたら自炊だったかもしれない。これがスキーだったらもう少し楽しめたかもしれない。鉢伏の民宿街の雰囲気はなかなか良かったように思う。近くに温泉もいっぱいあるようだし、機会があれば久しぶりに訪れてみたい。 修学旅行は3年の5月半ば、信州・白馬高原だった。 1・2年のときの宿泊行事のときは動きやすさ重視で体操服だったが、修学旅行のときは制服着用ゆえ、晴れの大人の旅行の気分に浸れた。もちろん菓子類やお土産用の現金を持って行くことも許される。 交通手段は例によってバスで往路は北陸道経由、途中日本海の景色を眺めることのできるSA(尼御前もしくは徳光?)で弁当を食べた。北陸本線の車窓から日本海を拝めるところは実はそれほど多くないが、新潟県に入って、険しい断崖絶壁の親不知付近から糸魚川を経て終点・直江津までのあたりは最高だ。当時、北陸道の親不知界隈は未開通で、絶壁の中腹を貫く国道8号線にてドライブ気分を味わえた。糸魚川からは国道148号線(白馬街道)に入り、北アルプス白馬連峰を分け入り信濃国をめざす。先ほど通った親不知絶壁は北アルプス連山の北端にあたる。車窓から姫川渓谷および大糸線のレールと並走しつつ、長野県に踏み入れる。 現地での具体的な行動内容としては、登山、大町市の博物館見学、公営体育館を借りての出し物、ほか何をしたのかはっきり覚えていない。 帰路は塩尻から中央道経由だった。木曽谷をゆくJR中央本線や国道19号線とちがって、木曽山脈に隔てられた東側の伊那谷を南下する。伊那谷は諏訪湖から湧き出る天竜川の河岸段丘にあたり、天竜川は静岡県浜松市で太平洋に注ぐ(先ほど通った塩尻市までは日本海に注ぐ信濃川水系。塩尻市内に中央分水嶺が通っている)。天竜川にほぼ並行する形で長大ローカル線の飯田線が伊那谷を縦貫しているが、険しい地形ゆえ急勾配・急カーブの連続で、さらに元私鉄で駅数も非常に多く線形は悪い。長い恵那山トンネルを抜けたあと、岐阜県に入って恵那峡、そして今度は木曽川に沿いながら徐々に都会的な風景に変わってきて名古屋が近いことを実感、濃尾平野に入って小牧JCTで東名・名神へ合流する。
by N-3899
| 2015-11-13 01:08
| 旅行レポート
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