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2009年 09月 25日
以前、小学校の遠足の思い出(2)に、小学校4年の奈良の遠足の思い出について書きました。
今日は、その遠足のことをもう少し詳しく綴ってみたいと思います。 まず枚方から奈良方面へ鉄道で行くとなると、京阪電車で丹波橋まで出て近鉄京都線に乗り換える、というルートが一般的です。 ところが、この遠足では、どういうわけかわざわざ不便な国鉄片町線をルートに選んでいただきました(笑) 確かに、物理的距離としては片町線(JR発足後、「学研都市線」という愛称が付与された。その後、JR東西線開通と引き換えに大阪市内の片町駅が廃止されたことも手伝って、今は「学研都市線」のほうが定着している)のほうが短いが、列車本数は京阪・近鉄のほうが多くてスピードも速いです。 当時の非電化区間(長尾-木津間)を走る気動車が並行する近鉄京都線の列車にどんどん追い抜かされていたことが、国鉄と近鉄との落差を顕著に物語っていたと言えます。 さて、この遠足の集合時間は、片町線の列車本数の都合もあっていつもの登校時間よりも早く、早起きでした(笑) 京阪交野線の私市行きに乗って河内森で下車し、少し離れている国鉄の河内磐船駅まで歩きました。 河内磐船駅から大阪環状線と同じオレンジ色の101系電車に乗って長尾へ。 当時、片町線の非電化区間はもちろんのこと、電化区間でも四条畷-長尾間は確か25分間隔の運転で決して便利とは言えませんでした。 長尾から先は気動車です。 当時の片町線は、国電区間とローカル線をつなぎ合わせたようなもので、非電化区間は「木津線」などと呼ばれることもありました。 長尾駅は大阪府の一番東の端の駅で、これより先の非電化区間は大阪府下の国鉄旅客路線唯一の非電化区間でした(とはいっても大阪府部分はわずか1km程度ですぐに京都府に入りますが)。 木津行きは確かキハ35系の2両だったと思います。 キハ35系は3ドア・ロングシートの通勤用車両ですが、ローカルムードはいっぱいでした。 普段はガラガラなだけに、われわれ小学生の遠足のための貸し切り列車状態でした(笑) 田辺(現、京田辺)駅から西木津付近まで、木津方向左手に近鉄京都線と並行します。 向こうは列車の本数も多いしスピードも速く、やはり近鉄優性は否めません。 木津駅でもう一度乗り換えです。 長尾からの気動車は基本的に木津折り返しでしたが、当時1日5往復程度、奈良運転所への入出庫を兼ねて奈良直通がありました(現在も早朝・深夜だけ学研都市線の207系が奈良電車区で1泊するために奈良直通電車がある)。 京都からやってきた奈良線の気動車に乗り換えました。 木津駅は、名古屋・亀山方面と奈良・大阪を結ぶ関西本線、京都と奈良を結ぶ奈良線(奈良線は正式には京都-木津間で全区間京都府下にあるのが面白い)、そして片町線の3路線が接続するが、当時同じ非電化路線ながらも片町線に比べて関西本線・奈良線の気動車列車は編成が長くて列車本数も多く、堂々たる本線のように見えました。 また、ちょうと木津駅にはキハ58系の快速・名古屋行き(1982年5月~1985年3月まで。急行〔かすが〕の格下げ)も到着、この快速列車に乗って遠くへ行きたい思いに誘われました。 奈良駅から興福寺・東大寺・奈良公園へ向かって歩きました。 当時の国鉄奈良駅は、奈良への玄関を主張すべく、重厚な寺院風の駅本屋を構えていました。 現在のJR奈良駅は高架化が進んでいますが、どこにでもある都市郊外の駅のような感じになってしまっているのが残念です。 なお、当時の国鉄奈良駅は、関西本線電化区間の快速用113系(赤帯)、普通用101系(緑)、非電化区間用のキハ35系、キハ40、キハ58系など、いろんな車両が楽しめました。 その意味で国鉄の奈良駅は鉄道ファンにとっては魅力的だったのでしょう。 帰りは、まず奈良駅から亀山行き普通列車に乗りました。 当時「亀山ってどこ?」と言われて、京都府の丹波・亀岡のことだと思ったことがありました(実は三重県のことだったんですね。丹波の亀岡ももともと亀山を名乗っていました)。 亀山は、液晶ディスプレイとして世界的に有名になりましたね。 同時に、亀山の伝統産業、ローソクも忘れてはならないと思います。 木津駅で片町線の列車を結構長いこと待ちました。 今度来た長尾行きはキハ35系+キハ40の2両編成でした。 キハ40はクロスシート(ボックスシート)で当時は新しくてピカピカで、キハ35系などに比べて乗り心地も良かったです。 なお、キハ35系のほうは消滅しつつある赤とクリーム色のツートンカラーでした。 ◎関連記事 1978年ごろの片町線
by N-3899
| 2009-09-25 01:25
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