キハ53は国鉄時代の一般型気動車(1967~68年製造)。
スタイルは両開き2ドア、セミクロスシートで、電車でいえば113・115系などの近郊型に当たります。
キハ53はキハ23を2エンジン(DHM17H型)にしたもので、キハ28とキハ58の関係と同じです。
また、キハ23を片運転台化したものとしてキハ45があります。
これらの形式を総称して「キハ45系」などと分類されています。
ただ、キハ23・キハ45はまとまった数だけ製造されたのに対し、キハ53はわずか11両のみ(1~9、101、102)の少数派です。
キハ53は数自体が少ないため、活躍場所も限られていました。
新製配置は、1~3が七尾、4・5は亀山、6・7は千葉、8・9は大分、101・102は鹿児島でしたが、千葉に配属された分はわずか2ヶ月後に米子に転属となりました。
JR発足後は、1~7はJR西日本、8・9・101・102はJR九州にそれぞれ継承されました。
筆者個人的には国鉄時代末期~JR発足初期にかけて亀山に配属されていたキハ53 3~5の動きについて最も記憶に残っています。
当初から亀山に配属されていた分は、勾配のきつい信楽線を中心に活躍していたようです。
国鉄時代末期の1984~86年には3両とも伊勢に配属でしたが、86年3月より亀山に復帰し、そのままJR西日本に継承されました。
JR発足後は、関西本線亀山-奈良間や片町線木津-長尾間の普通列車でキハ35・47・40・58・28などと連結して活躍していました。
当時、これらの線区ではキハ58系が多く、時にはキハ28との連結で冷房の入る列車もある反面、キハ53+キハ35の非冷房車が来るといかにもボロボロで乗る気を失せました。
キハ53の3~5は、1990年に富山に転属した後、1991年には小浜鉄道部に転属し、2003年の小浜線電化まで小浜線で活躍を続けました。
天橋立直通の快速列車(急行〔はしだて〕の格下げ)にもキハ53が運用に入っていたことは特筆に値します。
◎参考ページ
きはゆに資料室