小学校の遠足の思い出(1)のつづき。
4年生の遠足は、春に奈良まで行った。
枚方から奈良方面へ鉄道で行くとなれば、丹波橋経由で近鉄というのが一般的だが(距離的には遠回りだが)、この遠足は国鉄片町線(JR発足後、学研都市線という愛称名が付与され、以降「学研都市線」と案内されることが普通となり、特に新しい沿線住民に定着している模様だ)経由だった。
京阪交野線河内森乗り換え、河内磐船駅から片町線に乗るというものだが、当時の片町線は長尾-木津間非電化のため、長尾駅で乗り換えなければならなかった。
河内磐船から長尾までは、大阪環状線と同じオレンジ色の101・103系通勤型電車、長尾-木津間はキハ35・40・45などの気動車2両だった(国鉄時代末期~1989年の電化完成まではキハ58系が入ることも多くなる)。
木津駅から関西本線亀山方面または奈良線京都からくる奈良行きの気動車に乗り換える(ちなみに、このとき奈良線も非電化だった)。
奈良駅から歩いて東大寺の大仏さん、興福寺などを見学し、そのあと奈良公園で鹿と遊んだ。
やっぱり、奈良市内の主な観光名所へは、近鉄奈良駅からのほうが近い(それだけ近鉄のほうが賑わっているわけだ)。
5年生の秋には、神戸へ。
往復は貸切バスだったが、神戸港から大阪北港までフェリーに乗りながら昼食。
この遠足のとき、往路のバスで酔ってしまい気分が良くなかった。
もし鉄道で行くとすれば、乗り換えは多くなるが阪急電車利用だったのではないか(おそらく淀屋橋・梅田経由となるだろうが、京阪バスの貸切で阪急高槻まで移動ということもありかな)。
あるいは、今だったら、JR片町線(学研都市線)から神戸方面西明石まで直通しているので、JR利用になるのかもしれない。