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2016年 01月 13日
大阪府北東部から京都府南部を通る片町線(学研都市線)。
現在は「学研都市線」というナウい愛称名が付いていてスマートな207・321系通勤型電車が行き交うが、かつて「牛が引っ張る片町線」とも揶揄されるほど、遅くて不便でイメージはあまり良くなかった。長尾以西の大阪府内区間は1950年までに電化されたものの、1970年代の遅い時期まで旧型国電のたまり場で、京都府下の長尾-木津間にいたっては1・2両の気動車が1~2時間に1本行き来する非電化のローカル線だった。大阪府内の電化区間でも、四条畷以東は長い間単線のままでローカルムードが濃かったようだ。 しかし、1970年代後半より急速に改善が進み、大阪都市圏の主要幹線鉄道としての地位を高める。 まず、1977年には101系新性能電車が投入され、旧型国電を一掃した。2年後の1979年には四条畷-長尾間の複線化とスラブ軌道化が施され、5年前に開通した湖西線と同様の高規格路線に生まれ変わった(片町線の長尾付近から京都方面へ分岐して山科と結んで湖西線と結び、北陸筋の特急や貨物列車を回す計画構想があったようだ)。この複線化完成を機に、片町(廃止)-長尾間の各駅に当時の国鉄では珍しい自動改札機が設置され、電車は5両から6両編成に増強、合わせて103系高運転車も新製投入された。そして1983年ごろより、東海道山陽緩行線から103系冷房車が転属、非冷房の101系の大半を置き換え、一気に冷房化率がアップ。一部の101系についても冷房工事を施される。利用客が急増したため、1985~86年にかけて、7両編成化も実施される。 非電化で残った長尾-木津間も、1986年には同志社大学京田辺キャンパス開校に合わせて新駅「同志社前」が開業する。これを機に、同区間の電化への機運が高まる。翌年1987年のJR発足後、すぐに長尾-木津間の電化工事を発表。1988年には片町線に「学研都市線」という愛称名が付けられる。1989年春に電化完成と長尾-大住間に松井山手駅が開業(松井山手以西は複線)、長尾駅での乗り換えの必要はなくなった。 全線電化に合わせて快速電車の本格的な運転を開始する。電化当初は103系の改造で対応、松井山手-木津間は3両編成としたため、快速はほぼ終日3両編成で、京橋付近は大混雑だった。翌年1990年には同志社前・木津方面直通電車は4両編成に増強される。そして、片福連絡線(JR東西線)開通に先立って1991~92年に207系通勤型電車が投入され、松井山手以東へは207系ばかりとなり、3年前までキハ58系などが行き来していたとは信じられないほどの変貌を遂げた。207系は窓が大きく内装・外観ともスタイリッシュでロングシートながら座り心地は非常に良く、沿線住民に好評で迎えられた。京阪本線沿線に比べて田舎だった東寝屋川・星田・津田・長尾方面も、新興住宅地造成および大学誘致などが進められてゆく。 そして、1997年3月には待望のJR東西線(京橋-尼崎間)が開通すると、片町線はJR東西線と一本化され、尼崎を経てJR宝塚線(福知山線)およびJR神戸線(東海道・山陽本線)と終日直通運転が行われるようになる。運用車両は207系で、快速電車はJR宝塚線、普通電車は主にJR神戸線へ直通する。これまで北摂・阪神間とあまりつながりのなかった大阪北河内地域および京都府南山城地域から一本の電車で宝塚・三田・神戸・明石まで行けるようになるとは、まさに夢のようだった。また、東西線開通までは基本的に4両編成だった快速電車も、松井山手以西は7両に増強、松井山手駅で増解結が終日行われるようになった。 なお、東西線開通の前日に片町-京橋間は廃止され、翌日より片町線の正式区間が京橋-木津間となったため、もはや「片町線」と呼ぶ理由がなくなった。片町線に残った103系も前年の1996年までに完全引退し、207系に統一された。 その後も、2002年ダイヤ改正では快速の星田停車と7両運転区間の京田辺駅までの拡大、2003年にはJR宝塚線の中山寺に快速停車など、イケイケドンドンの快進撃が続き、京阪・阪急など関西私鉄には脅威となる。 しかし、2005年のJR宝塚線尼崎脱線事故で転機を迎える。 この事故で、これまでの拡大・高速路線を取っていたJR西日本の経営方針の根本的転換が迫られる。 事故車両が207系(同志社前行き快速電車)ということで、せっかくの爽快スタイリッシュな車両のイメージが傷つけられ、塗装デザインの変更を受けることになった。事故が起きた年に、207系の車体スタイルを踏襲した321系が登場、JR京都・神戸線の201・205系を置き換えた。 尼崎脱線事故は、急成長を遂げてきた学研都市線および沿線地域の活性化にもマイナスの影響を与えることになったものと感じる。 それでも2010年までは、学研都市線についてまだ前向きな話題も多かった。2008年ダイヤ改正では学研都市線に321系の運用開始(ただし京田辺以西)と、おおさか東線部分開通(放出-久宝寺間)に合わせてJR東西線・おおさか東線経由尼崎-奈良間の「直通快速」が223系6000番台で登場、東西線・学研都市線にも初めて223系転換クロスシート車が営業運用に入ることになった。 2010年春には木津まで7両対応となり、学研都市線全区間において7両編成の電車が乗り入れ(7連口固定の321系も木津までの営業運用開始)、途中駅での増解結を解消、所要時間短縮が図られた。 しかし、2011年ダイヤ改正より、学研都市線については後向きなダイヤ改悪が進められるようになる。 大阪駅ビルのグランドオープンに合わせ、JR宝塚線の電車は大阪駅直通のダイヤ編成が重視され、JR東西線・学研都市線へ直通する電車が減らされる。昼間の学研都市線快速電車は尼崎または塚口折り返しとなり、宝塚・新三田直通を取りやめる。尼崎-奈良間(おおさか東線経由)の直通快速も、JR東西線北新地駅のホームドア実施に合わせて4ドア車の207・321系に変更、223系の運用がなくなった。 その後も松井山手の一つ手前の長尾で折り返す電車が増えたり、ダイヤ改正ごとに後退が続く。 そして2015年のダイヤ改正はかなり衝撃的だった。 昼間時間帯の快速電車をやめて四条畷以東各駅停車の「区間快速」に変更、さらに普通電車は四条畷折り返しとなり、四条畷以東の列車本数が半減した。 最近の学研都市線四条畷以東は寂れているような印象があり、衰退の道を歩んでいるかのようだ。 同志社大学京田辺キャンパスの京都市内回帰(文系学部)や第二京阪開通などの影響がありそうだ。同志社のほか、枚方市東部の大阪国際大学杉キャンパスの閉校も予定されており、関西外大穂谷キャンパスも今後どうなるかわからない。しかし、同志社の京都市内への復帰にしても、尼崎脱線事故の心理的影響は小さくないだろう(あの事故で同志社の学生の尊い命が奪われた)。 学研都市線が衰退路線を歩んでいる別の理由に、JR東西線の利用客数の伸び悩みもあろう。東西線の北新地駅は地下道で大阪駅・梅田と結ばれているが、少し距離があって不便だ。学研都市線から梅田へ行くために京橋で環状線に乗り換える利用客も多い。おまけにJR東西線内は快速電車も各駅停車ゆえ遅いというイメージがある。JR東西線は阪神・近鉄の相互乗り入れを介する阪神なんば線と比較されることが多いが、阪神なんば線のほうが神戸三宮・なんば・奈良を一本の電車で結んでいるだけ活気があると感じる。 学研都市線の衰退は、枚方市東部および交野市・寝屋川市東部の京阪バス路線にも影響が出ている。特に津田駅に乗り入れるバスの本数が大幅に減らされた。尊延寺・穂谷方面へのバスは、津田駅・長尾駅から毎時各1本となって不便だ(松井山手発着便は毎時2本設定されているが)。河内磐船・星田・東寝屋川・忍ヶ丘の各駅に発着するバスも本数が少なくて使いやすくない。津田・河内磐船両駅から京阪交野市駅へのバスは概ね30分に1本は欲しいところだ。香里園へは津田よりもむしろ星田駅(ビバモール経由)からのバスにするほうがよさそうだ。
by N-3899
| 2016-01-13 22:18
| 片町線
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