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2015年 07月 11日
滋賀県南部と三重県伊賀を結ぶ電化ローカル線、草津線。
ただし、草津線の三重県部分は柘植駅付近のみである。 明治時代、名古屋・四日市と京都を旧・東海道に沿って結ぶ鉄道を建設する目的で関西鉄道が設立される。 まず、現在の関西本線(名古屋-柘植)と草津線(柘植-草津)が関西鉄道によって建設される。 その後、関西鉄道の奈良・大阪進出をめざして関西本線柘植以西が敷設される。 この歴史的経緯により関西本線名古屋方からは草津線へ直進するような格好となっているので、柘植駅構内においてJR難波・草津方向を眺めると、非電化で残された関西本線よりも電化されている草津線のほうが「本線」らしく見えたりする。 現在、草津線には優等列車など走っておらず、京都・大阪近郊のローカル線として、113・117・221・223系の普通列車が行き来する。 (それでもキハ120が1・2両だけの関西本線よりは堂々たる印象を与える。また朝夕には京都・大阪まで直通する列車もある)。 明治末期に関西鉄道の各路線が国有化された後、国は東海道本線のほうに設備投資の重点が置かれ、関西本線とその周辺の各路線など放置状態となる(これが関西本線凋落の始まり)。 しかし、現在の近鉄路線網が未完成だった時代、京阪神と伊勢・東紀州方面を結ぶ幹線として、国鉄は草津線の活路を見いだす。 昭和初期には伊勢参りの旺盛な需要に応えて姫路-鳥羽間の快速列車が草津線経由で運転される。 第二次世界大戦中、戦況の悪化に伴い運転休止となるが、戦後間もない頃に姫路-鳥羽間の快速が復活する。 そして、1960年代半ばには気動車準急<鳥羽>ののち急行<志摩>(京都-鳥羽)となる。 また、1959年の紀勢本線全通を機に、南紀への新たな観光ルートとして京都と三重県東紀州(尾鷲・熊野市など)を短絡する準急<勝浦>(京都-紀伊勝浦)も登場。 この準急も急行に格上げされ、<くまの>に改称される。 このほか、全国的に気動車準急・急行が多く設定される中、名古屋と京都を関西本線・草津線経由で結ぶ急行<平安>(名古屋-柘植間は<かすが>と併結)もデビューする。 しかし、1959年伊勢湾台風被災からの復旧に便乗した近鉄名古屋線の広軌化工事完成(注1)に始まり、1970年の大阪万博開催に間に合わせた近鉄難波線・志摩線開業の時点で、大阪・名古屋・奈良・京都・伊勢志摩を結ぶ近鉄特急のネットワークサービスが確立し、単線非電化で本数の少ない国鉄では太刀打ちできなくなり、陰りが見え始める。 草津線を通る急行列車はもろにその影響を受け、利用客は大幅に減少する。 1980年3月の草津線電化開業の時点では、急行列車には変更がなかったが、半年後の10月ダイヤ改正で<くまの>が廃止される。 <くまの>編成は、観光列車にふさわしくキロ28が連結され(向日町区所属)、紀伊勝浦行きに入る前の午前中に間合いで山陰本線京都口の臨時快速<丹波路>、夕方紀伊勝浦到着後は紀勢本線新宮-串本間の普通列車にも入る(<紀州>編成と連結)という、かなりスケールの大きい運用をこなしていたようだ。 その後も<志摩><平安>は生き残った。 <志摩>は同じ京都発着奈良・桜井・和歌山線経由の<しらはま>(1980年10月改正以降は<紀ノ川>、1984年10月の奈良・和歌山線電化で廃止)と共通編成だった。 キハ58・28・65およびキロ28を含んだ5両編成(向日町区)だったが、利用客が少なく閑古鳥の泣く列車で贅沢な組成だった。 <志摩>の間合いで昼間の参宮線普通列車の運用をもこなしていた。 <平安>は<志摩><くまの>に比べて地味だったように思われる。 朝の名古屋発京都行き、夕方の京都発があって、三重県北中部から京都への観光客を意識した運行ダイヤを組み、名古屋-柘植間は奈良発着の<かすが>と併結運転で(注2)、グリーン車の連結は無く、伊勢志摩や南紀をめざす観光列車とは違ってあまり華やかさはなかった。 もともと名古屋機関区のキハ58・65・57の3両編成が充当され、気動車急行としては何気に変則的な組成だったが、1982年5月関西本線亀山電化の時のダイヤ改正で奈良運転所(注3)の担当に変更、キハ58・28のみのオーソドックスな編成に変わる。 <平安>は1985年3月ダイヤ改正で廃止される。 1985年3月ダイヤ改正で、急行列車は特急への格上げなどを理由に大幅に廃止される中、長らく1往復のみだった<志摩>が2往復に増発される。 ただし、増発分(京都-伊勢市間)は<平安>の建て替えであり、<平安>廃止の救済措置なのか、亀山-柘植間の短い区間(所要時間約25分)でわざわざ<かすが>と併結運転をするという、少し煩雑なものだった。 この時点で<志摩>が増発された理由は、三重県北部・中部と滋賀県および京都を短絡する列車として一定の需要があったためだと言われる(注4)。 また、もう1往復分の<志摩>(向日町区担当)もグリーン車の連結がなくなる。 翌年11月、国鉄最後のダイヤ改正で、<志摩>は全廃され、草津線の優等列車が消失。 (亀山駅でJR西日本・JR東海の境界が敷かれることになった心理的影響も大きいだろう) 姫路-鳥羽間の修学旅行専用列車はその後も毎年運転される。 国鉄時代は客車、平成初期の頃はキハ58系だったが、余剰となったキハ181系が2002年度より充当されるようになる。 紀勢本線・参宮線への初進出を果たしたキハ181系は、キハ80系時代の特急<南紀>を髣髴とさせる姿だった。 しかし、キハ181系もさすがに老朽化が著しく、同系列唯一の定期特急となった<はまかぜ>はキハ189系に置き換えることが決まる。 加えて、阪神なんば線が開通して阪神と近鉄との相互乗り入れが始まったことも影響してか(注5)、2010年度を最後に伊勢への修学旅行専用列車は廃止される。 (注1)近鉄大阪・山田線と名古屋線は軌間(レール幅)が異なっていたため、両者間の直通運転は不可能だった。しかし、名古屋線の広軌化工事完了により、近鉄の名阪間および名伊間特急の運転が可能となり、今日の近鉄特急ネットワークの礎が築かれた。 (注2)1980年10月ダイヤ改正まで、名古屋行き<平安>は、新宮発名古屋行き片道急行<しらはま1号>と併結されていた。<しらはま1号>は通常の尾鷲経由ではなく、新宮から逆方向へ進んで和歌山・高田・桜井・奈良を大回りする迷走ロングラン急行だった。ダイヤ改正後、奈良-名古屋間のみが残り、<かすが>に吸収される。 (注3)<平安>は<かすが>と共通運用を組んだ。当時の奈良運転所の気動車は、奈良線普通列車(主にキハ35系およびキハ45)に加え、草津線経由の<平安>編成が京都駅へ乗り入れていたことになる。<平安>の京都駅到着後、折り返しまでの時間はどこで休憩していたのか興味がある(梅小路?)。1984年10月の奈良線電化後、奈良運転所は廃止され、亀山機関区に移管される。 (注4)三重県北勢・中勢地域の桑名・四日市・津から京都へは近鉄利用だと遠回りになる。現在でも、柘植での亀山方面から草津線へ乗り換える利用客も多い。ただし、新名神の部分併用開始により、京都-津・四日市間の高速バスが運行開始した。 (注5)近鉄は将来的に阪神および山陽電鉄姫路までの特急を実現する意欲を示している。
by N-3899
| 2015-07-11 01:19
| 国鉄時代懐古
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