久しぶりに国鉄時代の話題を一つ。
急行〔比叡〕といえば、東海型電車
153・165系を連想されることでしょう。
周知の通り、〔比叡〕は東海道本線名古屋-大阪間を結ぶ電車急行でした。
〔比叡〕の歴史は東海道本線全線電化完成後の1958年に始まります。当初、準急として、5往復が設定。東海道新幹線開通(1964年)前後には最盛期を迎え、1日8往復もの本数がありました。
ところが、その後急行に格上げされるものの、新幹線への移行で次第に運行本数は減らされます。1980年10月ダイヤでは1往復だけとなり、1984年2月にはついに廃止。
さて、この
〔比叡〕ですが、実は気動車の臨時列車が設定されることもありました。運用車両はもちろんのことキハ58系。全区間直流電化、しかも天下の東海道本線にもかかわらず、なぜわざわざ気動車なのか(いわゆる架線下DC)、と思われても不思議ではないはずです。
それは、大阪発の臨時〔たかやま〕の送り込みを兼ねてのものだったようです。該当する列車のダイヤは、例えば1977年5月では、
9401D〔比叡51号〕 名古屋 9:10 → 大阪 12:02
9402D〔たかやま52号〕 大阪 12:58 → 下呂 17:07
でした。面白いことに9401Dの大阪行きは、名古屋-米原間、小浜・宮津線経由で山陰に向かう伝説のロングラン急行〔大社〕と連結でした。加速性の低い気動車のハンディのためなのか、153系の定期列車に比べて通過する駅は多かったようですね(彦根~大津間ノンストップ! ただ、新大阪には停車)。
(急行「比叡」1977年6月の時刻) http://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/exp77/hiei.htm
〔比叡51号〕用気動車はは美濃太田所属だったと思われ、キハ57が連結されることもあったのでしょう。
もともと〔たかやま〕は美濃太田区担当だったそうですが、1978年ダイヤ改正以降、宮原区(大ミハ)担当に変わり、以降1999年の特急〔ひだ〕へ格上げまでJR西日本京都総合車両所が受け持っていました。