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2012年 07月 27日
かつて名古屋から紀勢本線各地を結んでいた気動車急行〔紀州〕。
1959年(昭和34年)の紀勢本線全通後、名古屋~天王寺間にて運行開始。 紀伊半島を大回りする名阪間直通の列車でした。 もっとも、紀勢本線経由でわざわざ名古屋・大阪間を乗り通す需要を見込んだわけではないが、大阪・名古屋双方より紀州路各地への観光に利用しやすく、また全通したばかりの紀勢本線をPRすべく、この手の大回り列車を運行することは、当時の国鉄の一般的な営業戦略だったのでしょう。 当時、南紀への新婚旅行客も多かったそうで、1960~70年代には、〔紀州〕がグリーン車(キロ28)2両連結で名古屋~天王寺間に数本運行、キハ80系の特急〔くろしお〕とともに紀勢本線の華を飾り、まさに「紀州の殿様」と言うべき存在でした。 ただ、1978年(昭和53年)に待望の新宮~和歌山間電化および381系〔くろしお〕登場と引き換えに、紀伊半島一周する列車は夜行普通〔はやたま〕だけになってしまい、〔紀州〕は名古屋~紀伊勝浦間に短縮されました。 その後、〔紀州〕は関西本線名古屋~亀山間電化の1982年(昭和57年)5月に2往復に削減、1985年(昭和60年)3月ダイヤ改正では、特急〔南紀〕に格上げで廃止という経緯でした。 ところが、このダイヤ改正後、国鉄最後の1986年(昭和61年)11月ダイヤ改正までのわずか1年半余りですが、臨時列車で奈良~紀伊勝浦間に急行〔紀州〕が運転されました(伊賀上野・亀山経由で)。 本来、名古屋発着にすればよさそうなものを、なぜわざわざ奈良発着にしたのか、今でも謎です。 その当時の時刻表は、 http://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/exp86/kishu.htm にあります。 奈良・伊賀上野から東紀州の尾鷲・熊野市・紀伊勝浦方面までこれに乗る人はほとんど皆無、近鉄と接続する津・松阪から東紀州方面へ一定の利用があったものと思われます。 では、なぜ奈良発着になったのか? そのヒントは、急行〔かすが〕<名古屋~奈良>との運用上の関係にありそうな気がします。 1985年3月ダイヤ改正以降、〔かすが〕は1往復だけとなりました(2006年廃止)。 当時の〔かすが〕のダイヤは、 201D 名古屋 8:17→奈良10:47 202D 奈良16:30→名古屋19:14 で、問題の臨時〔紀州〕は 8901D〔紀州51号〕 奈良11:35→紀伊勝浦17:00 8902D〔紀州52号〕 紀伊勝浦10:44→奈良16:20 だったことから、〔かすが〕の間合いで臨時〔紀州〕に入っていた(もちろん新宮で1泊)、と推測するのが自然でしょう。 しかし、それでも、なお疑問が残ります。 それは当時、〔かすが〕用の気動車(キハ58系)は名古屋機関区(名ナコ)ではなく亀山機関区(天カメ)の担当だったためです。 亀山機関区は、ほかに急行〔志摩1・4号〕<京都~伊勢市>も担当、亀山~柘植間は〔かすが〕と併結運転していました。 〔かすが〕が名古屋区担当だったら、名古屋を基準にして考えれば済むので話は簡単ですが、 201D〔かすが〕→〔紀州51号〕→〔紀州52号〕→202D〔かすが〕 なる運用で、どのようにして亀山機関区へ入庫するのか気になります。 名古屋~亀山間普通列車は165系電車オンリー、同区間における気動車普通列車は既になくなっていたので、名古屋~亀山間回送列車で入出庫したのでしょうか? また、〔かすが〕と〔志摩〕は(間合い普通列車での送り込み含む)共通運用だった可能性が大きいので、ますます気になりますね。
by N-3899
| 2012-07-27 19:15
| 国鉄時代懐古
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