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2009年 12月 11日
本記事では、片町線(学研都市線)長尾-木津間電化前の1980年代半ばごろのことについて、思いつくままに書き綴ります。 筆者が片町線の非電化区間(長尾-木津)に初めて乗車したのは1978年の正月でした。 当時はキハ10系、20系の2両編成が活躍していました。 次に片町線の非電化区間に乗ったのは、1980年代前半の小学校4年の奈良への遠足のときでした。 そのときは、キハ10・20系は見られず、通勤型のキハ35系が幅を利かすようになっていました。 キハ35系以外にキハ45またはキハ40が入ることもありました。 特にキハ40は1981年製造で新しく、ロングシートのキハ35系に比べて乗り心地は良かったです。 その後、1984年より、120~160円の「大阪近郊区間大回り」で片町線の気動車に乗りに行くことも多くなりました。 ローカル線同然の片町線の非電化区間も「大阪近郊区間」の範囲に含まれていました(笑) 筆者がよく回る乗車経路は、 長尾→木津→奈良→天王寺→京橋→河内磐船 でした(国鉄時代の「大阪近郊区間」は狭かったですね。東海道本線京都以東、山陽本線西明石以西、湖西線、福知山線などは近郊区間外でした)。 また、1984年10月の奈良線電化完成時には、小学校時代の友人と奈良線の電車に乗りに行った帰りに片町線の気動車に乗りました。 そのとき、奈良駅から木津までキハ58+45の普通列車鳥羽行きに乗車しましたが、できることならそのまま伊勢市・鳥羽まで乗りたかったですね! なお、片町線の気動車は1984年の奈良線電化前までは、奈良運転所(天ナラ)の配属で、奈良線・関西本線(亀山-奈良)と共通運用でした。 奈良線電化後は天王寺鉄道管理局の気動車合理化の一環として、奈良運転所の気動車は全て亀山機関区(天カメ)に転属、片町線の気動車もそれ以降亀山機関区(→JR発足後は亀山運転区)が担当することになりました(ただし、片町線は非電化区間も含めて全区間大阪鉄道管理局の管内。京橋車掌区が国電区間の電車はもとより、非電化区間の気動車列車にも乗務していたようです)。 1985年3月ダイヤ改正以降、片町線にもキハ58が姿を現すことになりました。 急行〔きのくに〕の廃止で余剰となった和歌山(天ワカ)のキハ58系が亀山・伊勢などに転属となり、これまでキハ35系の多かった関西本線や片町線、紀勢本線、参宮線などの普通列車でもキハ58系に乗車できる機会が増えました。 ただし、キハ35系やキハ40系など一般型との混結が多く、冷房電源装置のあるキハ28が入ることが少ないため、せっかくクーラー付きのキハ58も冷房なしということが珍しくありませんでした。 片町線の列車も、1985~86年は、キハ58+35、キハ58+47という編成が多く、朝夕には1両のキハ30またはキハ40の列車もありました。 特に1両のキハ40が無人駅の大住・上田辺(現JR三山木)・西木津などに停車する光景は、まさに大阪近郊とは思えぬ地方のローカル線と同様の雰囲気で、国電区間との落差を顕著に表していました。 現在大規模にニュータウン開発された松井山手周辺も、当時は雑木林の里山の中で、単線非電化のローカル線が似合う風景でした。 ◎関連記事 奈良の遠足の思い出 1978年ごろの片町線 亀山のキハ47 キハ35系(2)
by N-3899
| 2009-12-11 19:46
| 片町線
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