筆者は1978年まで、八幡市・男山団地に住んでいました。
確か1978年だったと思うが、その年の正月、片町線の気動車の旅に連れて行ってもらいました。
男山団地から長尾駅まで父の運転する車に乗せてもらい、片町線の気動車には母・妹と3人で乗りました。
当時、片町線(片町-木津間)は片町-長尾間は電化済みの大阪近郊国電区間なのに対し、長尾-木津間は非電化のローカル線で、全線を通して運転される列車はありませんでした。
ただ、電化区間でも1979年までは四条畷-長尾間は単線で列車の本数は少なくローカル色が濃く、片町線では阪和線とともに遅くまで旧型国電が活躍していました。
1977年ごろになってようやくオレンジ色の101系が入り、その後1980年代には東海道・山陽緩行線から103系が大量に転属してきました。
筆者自身、当時5~6歳だったこともあり、残念ながら単線・旧型国電時代の片町線は見た記憶はありません。
1979年の四条畷-長尾間複線化工事完成に合わせ、線路は高規格化され、同区間の各駅もローカル色の濃い木造駅舎から都市郊外型の新しい駅舎に変わり、加えて新しく東寝屋川駅と藤阪駅も開業しました。
さて、正月の気動車の小旅行では、どういうわけか途中の祝園駅まで乗りました。
車両はキハ10系でした。
1978年当時の祝園駅
祝園で下車し、新祝園駅から片町線と並行する近鉄京都線で新田辺へ引き返しました。
ちなみに近鉄の新祝園駅も、当時は普通しか止まらなかったが、今は2面4線の緩急連絡ホームに生まれ変わり、急行も停車するようになりました。